2022.12.20火曜日、半日お休みさせていただき日本橋室町のartmallという場でガラス工芸
の展示会を見ました。そのあと恵比寿の東京都写真美術館へ地下鉄銀座線と日比谷線を乗り継いで
恵比寿に行きました。日比谷線はかつてのサリン事件以後たぶん初めての乗車になるのかな。
さいたまにしがみついて生きて約30年になってしまったわたしは東京に出てくるのは娘の用事以外
ほとんどないのです。その娘の用事先でたまたま知り合った井上さんが監督されてできたドキュメント映画が
写真美術館のホールで封切られているということでこの日を計画しました。
何しろ不慣れな東京そして恵比寿、地下鉄から地上に出ると方角がわかりません。山手線の線路伝いに渋谷と逆方向へ
・・・それだけを念じて坂道を上りました。
宮殿のような一角にそれはありました。魔法にかけられたようでした。18時からの上映には間がありましたので星野道夫
写真展覧会を見てほかの展示室も見て、まだ時間が有ったので暗くなりイルミネーションの点いた外に出てベンチに座り
ファミマで買ったおにぎりを食べ、美術館に戻ると玄関で黒いコートを着た吉増剛造さんに出会い、ロッカーに上着とリュックを預け
ホールに入場しました。・・・映画を見る前ぶり、お膳立てはほぼ完ぺき。このわくわく感わかっていただけるでしょうか?
この映画を待ち望んでいた私自身に気が付きながら、先ほど初めて美術館を訪れた時にすぐスタッフの方にチケットを買うように
ご指導をいただいたおかげでホールど真ん中の席にドッカと座らせていただきました。ほどなく客電が暗くなりすいすいと映画は
始まりました。私はなぜかトークショウは上映前にあるはずだ、と思い込んでいて、その「すいすい」は私にとっては
「あれよあれよ」という時間に感じられた。いつ井上さんたちはスクリーン前の舞台に上ってくるんだろう?
いよいよ吉増さんスクリーンに登場。プラスチックに焼き付けたメカスさんの写真を風になびかせて川べりを歩くその姿を見て
この映画の空気をとても軽いものに感じ、映像の魔法の中に入り込みました。
映画の内容は見ていない方に失礼になりますからお母さん(死んだ母)にはあとでゆっくりお話ししますね。
2時間の上映が終わり、井上さん吉増さんに加えて写真家の津田直さんが登壇して楽しいトークショウが始まりました。
メカスさんの故郷リトアニアのことを津田さんは紹介してくれました。夏至の行事、火を囲んで輪唱をするのですが
ひとりが歌い出し、二人目が重ねて歌い出す。ふたりの声は聞き分けられるのに三人目が歌い出すと三つの声は空で混ざり合って
歌い手の声を聞き分けることのできない、という不思議を熱く話されました。続けて津田さん、今日映画を見直して気づいたこと、
メカスさんのカメラワークの独特な癖は故郷リトアニアでの若き日の農作業から生じているのではないか?・・・とか
晩年メカスさんはアトリエの窓際の片隅を寝床としていたのは、彼の思いは難民として故郷を離れなければいけなかったその列車に
ニューヨークに住んでいても乗り続けていたからではないか。列車の窓から外を確かめるようにアトリエの窓から外を眺める
晩年ではなかったろうか?
・・・難民列車の話を聞いた吉増さん、小躍りしながら話に加わる。「そうだったのか。ぼくこのあいだ原稿書いたばかりで、
そのことに気が付けばもっと違うことが書けたのにー」
しょげる吉増さんをなだめるように井上さん「吉増さんそれをお書きになった時のお気持ちも大切では?」とフォロウ。
わずか30分のトークでしたが映画の吉増さんが舞台の上で生き生きとメカスさんのことを思い続けている。メカスの息子さんに
亡くなる前のご様子を映画の中で吉増さんは尋ねた。「笑っていましたか?」しばしの沈黙。息子さんは字幕によると「覚悟を
している顔をしていた。」そのくだりでの登壇されている3人のそれぞれの思いが観客をくぎ付けにした。
映画が続いている。・・・この現実の自由奔放さ、そして幸福感、私はメカスさんの映画を一つも知らないけれど
メカスさんのぬくもりをたくさん感じることができたんです。身を乗り出して私は舞台を見ていました。幸せな2時間30分、
ありがとうございました。井上さんにご挨拶をと、近づき私はわけのわからないことを口走っていました。
「私、今日地下鉄でここに来たんです。それがとてもよかったです。」
井上さんは私の言葉にぽかんとされていました。私もそれ以上説明する気力が出ませんでした。映画の中でニューヨークの
地下鉄でブルックリンへ移動するところ、コニーアイランドへ向かうところ、と私が普段乗らない地下鉄に乗ってこの映画を
見に来たこと、が自分の中で重なり合って勝手にうれしくなっていた私なのです。お母さん、変でしょ。そちらに映画館やライブラリ
ーがあるならメカスさんや井上さんの映画も見てください。高度成長の時代のハリウッド映画を見る感覚とは大分違ったものに
なりますね。好評だというパンフを買い、美術館を後にしました。
家に帰りパンフをパラパラとめくりましたが、中身は読まず年が明け枕もとのパンフはその一月後に読むことができました。
ひとつき、私なりにこの映画を温めました。今でもその幸福感は続いています。ブラボー、VERTIGO検索検索
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